新しいいのちと祝福

私ごとになりますが、先月孫が生まれました。

長くナチュラリゼーションを続けていらした受講生の皆さまには、新生児の脊髄や脳幹レベルの反射などにについてのお話も交えながら、時折リアルタイムの発達の様子やそこから気付いた事、考えた事などをお伝えしたりもしています。

この世界に生を受けたばかりの赤ちゃんが胎児の頃から既に持ち合わせている、あるいは生後すぐに出現した栄養を摂ったり危険を回避するための脊髄レベルの反射や、重力に適応したり生理的屈曲から解放されるため、また四つ這いの姿勢を保つ達を促すための脳幹レベルの反射など、私自身が子育てをしていた頃とは違う立場から、そしてナチュラリゼーションの体験も踏まえながら改めて目の当たりにすると、私たちはちゃんと学べるように生まれてきているのだという実感もひとしおですし、しみじみと湧いてくる生命や自然へのリスペクトの感覚もあり、孫との時間にもまた少し違う豊かさを授かっている気がします。

「別冊日経サイエンス 認知科学で探る心の成長と発達」という本の中に、

赤ちゃんや幼児は単なる未完の大人ではない。変化し、創造し、学び、探求するために、進化によって極めてみごとに設計されている。このような能力こそが人間の本質で、人生の最初の数年間に純粋な形で表れる。

という言葉がありました。

今まさにそのような過程にある姿を見守り、そしてそれを間接的にでも、ナチュラリゼーションの時間を共に過ごしてきたみなさまと共有できる貴重な機会を授かれたことを幸いに思います。

受講生の皆様からとても素敵なソープカービングのお祝いを戴きました。丹誠込めて制作してくださった想いが色彩や香りとともに広がってきます。ありがとうございます。

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ズレから学ぶ

昨日は定例の自習会がありましたが、その後の時間も麗らかな春の中思い思いの散策を楽しまれた方もいらっしゃったようです。

ミニマルシューズで気付けば川べりを1時間半くらい歩いてしまったという方も。
「かなり歩いたのに足が疲れていないのが不思議です。」と、裸足やそれに近い状態で不整地を歩くことの感触をお話ししてくださったりもしました。

「歩くことを考えつつ、検証しつつ」
と仰っていらしたように身をもって稽えることを通じてしか、身に合うものは見出せないものなのではないかと思うのです。

私たちは精度の高い動きというものを追い求めようとするけれど、人工的で平たい空間の中だけでの精度の高さは、それが上がるほどにむしろその環境に固定化されてしまうようにも思うのです。

ダンスでもありますよね。
スタジオで練習した時と、舞台で踊る時と、同じリノでも滑り方が違ったりしてちょっと戸惑うとか、普段リノの環境でレッスンしているとフローリングのスタジオで踊りにくさを覚えたり。

凹凸や勾配のある道でも歩く。平らな道も歩く。
時に裸足やそれに近い靴でも、時に普通の靴でも。

何か1つの正しさや正確さだけではなく、その条件のズレの中で反応して動くということから学べることも多くあるのではないかと思います。

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活き

私が今、皆さまにお伝えしているナチュラリゼーションという運動の再学習のプログラムは、「こう意識して、こう操作しよう」「ここが弱いから鍛えよう」であるとか、まず理解ありきというところから始まる意志を持った「働きかけ」から直接的に何かを変えようというようなアプローチとは少し違った視点も必要で、その辺りを言葉にしてお伝えするのが難しいのですが、年末に再読した『<いのち>の自己組織』という本の中で書かれている「活き(はたらき)」という言葉がそれに通ずるところがあるように思います。

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